プレゼント

今日は土曜日。
学校がお休みの子供たちは
お布団の中からなかなか出てこない。
「起きるぞ〜。おはよ〜。」と
一緒になってお布団にもぐりこむと
「お母さ〜ん!」と子供達が抱きついてきた。
「わあ〜、幸せ〜♪お前達はお母さんの宝物〜♪
 こればっかりは、サンタさんに『ください』って
 お願いしても、無理なんだよね〜」と
子供達をぎゅう〜っと抱きしめた。
すると、不安げな顔で次男が
「お母さん、もしね、サンタさんに僕達を
 プレゼントに使うから、ちょうだいって
 言われても、いいよって言っちゃ駄目だよ・・」と
懇願するように言ってきた。
「言わないよ〜!誰にもあげないよ〜だ!」
と言うと、今度は長男が
「そうだよ。サンタさんに言われてもこう言ってよ。」
布団の中からゴソゴソと顔を出しながら
「案外、飼育が難しいですよって!」
もうすぐ、この子達の元にも本物のサンタさんがやって来る。

初雪

何が順調って、
奥中山が寒くなって行く様は
誠に順調だ。
こればっかりは、毎年飽きずに誠実にやって来る。
「初雪!?」

10月下旬にチラチラ白いものが舞っていたけれど、
妻と夫の目が
「見えん、見え〜ン!!」などと、
駄々をこねているうちにすっかり溶けました。
ほっとする間もなく11月14日〜
とうとう「見えません」なんて言っていられない程降っちゃった。
15日の朝には、一面真っ白!!
子供達が両手広げて雪に向かって走って行った。
ほっぺたを真っ赤にして雪と戯れている。
そんな姿を見ていると、何となく自分も雪と戯れてみようかな、
という気持ちになったので、オズオズと表に出てみたら
ヒョ〜ッて体の芯まで冷気が浸み込ん来た。
今年最初の冷え込みがちょっと新鮮に感じてしまった。
(毎年お馴染みなのに)
足元を見ると、夜の間に誰が訪問してきたのか
よく分かる。これも、奥中山・冬の風物詩だな〜。

(野兎の足跡)

煙突マンション

昨年新調した
我が家の薪ストーブ。
家屋にピッタリと寄り添うように
高さ3mの煙突が立っている。
紅葉も散り始め、
「冬」「雪」という恐ろしい言葉が
頭をもたげ始めたので、
先日は家族でストーブのメンテナンスを
行ったのでした。
ストーブの中を綺麗に掃いて、
煙突をバラして、ブラシでゴシゴシ・・
擦るほどに、去年のススがパラパラ、ゴロゴロと
落ちていき、気分爽快である。
そして、家屋の外に突き出て、空に伸びていく手前の直角部分を
解体した時だった。
煙突の中に藁の塊がゴッソリと詰まっているではないか!
「こ・・これは!!」
引っ張り出してみると、羽毛が沢山絡まっている。
「鳥の巣だ!!」
この筒の中で、小鳥の家族が暮らしていたのだ。
ここは暖かい安全地帯だったに違いない。
「・・・ですが、容赦なく撤去します。」
結婚、出産、子育てをした思い出の場所を
無下もなく取り払ってしまうのは、罪悪感を
感じずにはいられないが、ここに居座られては
煙が通らず、煙突が機能しなくなってしまうのだ。
「ごめん!小鳥!」
そんなこんなで、ばっちりメンテナンスを終え、
昨日、ついに「すこぶる寒い夜」がやって来た。
「じゃじゃ〜ん!初点火!2014!」と
意気揚々と薪に火をくべたとたん、
あっという間に、ストーブからモクモクと
湧き出てくる白煙に燻されてしまった。
「わ〜!あ〜!ゴホゴホゴホッ!わ〜!あ〜!ゴホゴホゴホッ!」
何が何だか分からないまま家の中を逃げ回り、家族全員が燻製臭くなり、
その晩は寒さに耐える最悪の夜となった。
次の日、疑心暗鬼のまま
はしごをかけて、煙突の頂上を覗いて見たところ、
なんと頂上にも立派な鳥の巣が!
なんと、2階建構造だったのである!
「くっ!同情して損した!」と
今度こそ無下もなく巣を叩き落としたのでした。
きっと、小鳥は毎年巣を作りにくるだろう。

ななちゃん


我が家には「ななちゃん」という牛がいる。
牧場創業の年に、奥中山のT牧場さんから買って来た。
当初はまだ小さな子牛が5頭だけだったので、
耳標の数字の末が「7」だからという
安直な考えにより「ななちゃん」と名付けられた。
この「ななちゃん」は、かなりの大食漢なのだ。
他の牛達がひとしきり食べ終わり、草の上でごろ〜んと
横になって休んでいる時も、一人「ななちゃん」だけは
ムシャムシャとガッついているという光景をよく見るのだ。
牛舎にいても、他の子たちが「もう満足♡」という顔で
くつろいでいるというのに、「ななちゃん」は一人乾草の中に顔を
突っ込んでガッついているという光景もよく見る。
そんな「ななちゃん」ですが・・・
朝の作業をしていたら、牛舎の床にゴロ〜ンと横たわって
両手足をジタバタさせているではないか。
そうかと思ったら、今度はピーンと四肢を伸ばして、
ビョ〜ンっと立ち上がったと思いきや、
ドッスーンっと座り込むのである。
「な・・なな!?」
たじろぐ周囲。
どうやら、ななちゃんは腹痛に喘いでいるようだ。
「なんか、解らへん。とにかく獣医だよ〜!」
我が家では珍しい急患だ!そしてすぐさま診てもらった!
K獣医さんが診察してくれて、鷹揚に振り返り
「恐らく、おなか痛でしょう。点滴入れときますね〜。」
とサラッとおっしゃった。
「・・・おなか?痛い?」
そんなサラッとおっしゃられてもぉ!!という気分である。
「はい、恐らく食べ過ぎか何かじゃないですか?」
といつも優しいK獣医さんが、
いつものように穏やかな口調でおっしゃった。
食べ過ぎ・・・。
思い当たる節はある。
心当たり、大当たり。
「牛のくせに・・食べ過ぎたのか〜・・」
何だかドッと疲れが出てくるのを感じながら
「大きな病気じゃなくて良かったね」と言った。
その日の夕方には、
「ななちゃん」は再びムシャムシャと
実によく食べていた。
平然としている「ななちゃん」の周辺には
情けないような、可笑しいような
愛しいような雰囲気が
遣り場もなく漂っていた。

マップちゃんです


我が家の牛舎はもう満員御礼。
昨年生まれの「ゆきちゃん&マルちゃん」でさえも
既に通路に繋がれている状態で、
マルちゃんは何か(通路?)に不満を持っているのか、
今までに4〜5個の水飲みバケツを鼻先で小突き回して
大破させている状況。
そんな中、生まれてくる子牛は
「生まれても、我が家には置いておけないからっ!」と
生まれる前から夫に一蹴されていた。
子牛は超可愛いに決まっているのだ。
牧場経営を本気で考えている夫、以外の3人(妻子)が
「やだ〜!飼う〜飼う飼う〜!」と駄々をこねることを
見越しての生前の一蹴。
煩悩第一の3人(妻子)は夫の決定に抗うことなく
出産の日を迎えました。
どうせ家の子じゃないと思って、出産現場にさほど興味を
持っていなかった3人(妻子)が家で待っていると
今しがた出産に立ち会った夫が帰って来た。
そして・・・
「え〜、今生まれた子牛は、我が家で頑張ってもらいます!」
衝撃の手のひら返しである。
「いや〜、止めようと思っていたんだけど、模様が珍しくって!
 純血ジャージー種なのに、これだよ?
 この子は絵になるよな〜。家の子として、このまま育てよう!」
煩悩3人組(妻子)にも全く異議はなく
万歳三唱でもって、このNewFaceちゃんを迎え入れたのでした!
綺麗な白と茶色のコントラストが
世界地図のように広がっている事から
「マップちゃん」と名付けられました。
いつかもっと大きな世界地図を見せてくれるんだろうな!

開拓者物語

三谷牧場のお隣さんは
大きな野菜畑になっている。
そして、その野菜農家さんと三谷家の土地の隙間に
約0.8ha程の小さな三角形の土地があり、
そこは駅前に住むSさんの所有地だという。
どうして、このような配置図なのかというと、
どうやら戦後の農地配分のなごりらしい。
6年前に我が家が牧場を開業した際に
お城の石垣の大きな石と石の間にある三角の隙間の
ようなSさんの土地に、
牧柵を何本か入れてしまった事があり、
「無断でSの土地に入るべからず」という事で
丁重にお詫びしたという事があった。
その時は内心「え〜っ!?なんでここにSさん!?」と思った。
事実「いきなりSさん」の感は強い。
それ以来、彼の三角地帯は「寄らず触らず」として6年間放置されていた。
ところが、ある日突然Sさんがやって来て
「あの土地、ほっといても勿体ないしね、使っていいよ。」と
言ってくださったのだ!
これはびっくり仰天ニュースである!
我が家にとってはまさに「棚から牡丹餅」である!
実はというと、牛達のためにもうチョコッと放牧地がホシイナ〜と
思っていたところだったのだ!
偶然にもSさんがいらっしゃった日は妻の誕生日で
妻は勝手に「Sさんからお誕生日プレゼントもらった♪」とはしゃいでいる。
しかしながら、今まで手つかずだったので
野薔薇や葦が生い茂り、ランダムに木が生えている。
歩けば野薔薇の棘が無造作に刺さり
「痛い、痛い」を連呼してしまう。
誰が捨てたか、古いバイクの残骸なども出てくる始末。

「どうしたもんか」と少々途方に暮れつつも、
夫は新品のチェーンソーを買ってきた。
新しいチェーンソーでバッタバッタと木を切る夫。
背中に「俺、強いぜっ!」という雰囲気を丸出しにして
木という木を滅多切りにしている。危険だ。
こうして、牛が通れるような道が出来れば
後は牛に野薔薇や萱を食べてもらって
牧草の種が入った糞を落としてもらい
数年後には美しい放牧地に大変身する予定なのだ。
Sさんのご厚意で、
突然ですが「開拓者・三谷の物語」の始まり始まり〜。

さようなら、ゴーゴー!

どんな事にも「来る時が来た」はあるのだ。
だから、今日だって、そうなんだと思う。

三谷家初代牛「ゴーゴー!」が放射能検査屠畜のために
行ってしまった。
三谷牧場を始める時に子牛で買ってきて、
今までずっと一緒に頑張ってきた「ゴーゴー!」
あの子はいつも淡々としていた。
ちょこっとしゃくれた顔に大きな瞳、
他の牛が「事件」を起こしている時も、
初めて搾乳した時も、
三谷家の長男や次男がが生まれ、成長して、
三輪車で牛舎を暴走するようになっても、
他のどの牛よりも淡々と暮らしていたな。
いつも大きな瞳で、私をじっと見ていた。
何を訴えるでもなく、ただひたむきな瞳。
我が家では、初めて「死ぬ」ために
トラックに乗って行ってしまう牛を見送った。
朝、長男が「今日、ゴーゴーは行っちゃうんでしょ?今度はどこに行くの?」
と無邪気に問いかけてきたけれど、
言葉に詰まって答えてあげられなかった。
トラックが来てもお見送りしようかどうか、正直迷った。
きっと「ゴーゴー!」は淡々と行くのだろうと思った。
11時にトラックが来て「やっぱり最後に見ておきたい」と
見送った時、ロープで引っ張られながら
「ゴーゴー!」が牛舎から出てきた時だった。

大きな瞳でじっと私を見たから、
思わず手を振って「ゴーゴー・・」とつぶやいた。
すると「ゴーゴー!」が一瞬だけ「え!?」っていう顔になった。
嫌々トラックに積まれて、トラックが動き出した時には
私はやっぱり号泣して、言葉が出てこなかった。
「大好きだよ」とか、色々言いたかった。
経済動物を飼育しているのだから、泣くなんておかしいかもしれない。
でも、私はあの大きな瞳を忘れる事は一生できない。