ウイグルの干しブドウ

小学生のころ、
スーホの白い馬」という物語を読んだ。
民族衣装を着た丸顔の男の子や
白いテントのお家や、
広大な草原を舞台にした異国のお話に
想像を膨らませた。
遊牧民」という言葉を知ったのも
その物語からだった。
さて、今、我が家には「風の干しブドウ」というものがある。
遊牧民族ご出身のBさんが送ってくれたものだ。

Bさんは、ウイグル自治区遊牧民族に生まれ
観光でやって来る日本人が
携帯灰皿を所持していた事に感銘を受けたのだそうだ。
「日本人は、なんてマナーのいい民族なのだろう!!」
そして日本への憧れを強め、20歳で念願の日本留学をし、
今は自分達の民族の文化や言語などの保護伝承という想いを胸に
仙台で自国の産物である干しブドウを販売する会社を経営している。
「風の干しブドウ」は砂漠の自然環境を利用して
製造された小粒な白ブドウだ。
小粒だけど甘みがしっかりしていて
力強い自然のパワーを感じる。とても美味しい。
ひょんなつながりから、
小学生の頃に夢にまで見た
遊牧の民とお友達になれたのは、
人生びっくりBOXを感じずにはいられない。
Bさんは、ひょっとして以前どこかでお会いしましたか?
みたいな親しみやすい、素朴な努力家だ。
Bさんがスマホに収めた故郷のお写真を
沢山見せてくれた。
まさにスーホ!!!
「オオカミ、ユキヒョウ、結構こわいデス。」
「この湖はトテモキレイ。私の家からは
 馬で1日半かかりマス。」
「昼は40度、夜は−20度くらいカナ〜」
Bさんのお話は
まさにスーホ!!!!
You are SUHO !!!
いつかBさんに案内してもらって
彼の地を訪ねたいな〜。
馬で1日半、オオカミやユキヒョウに警戒しながら
美しい湖を目指す!!
I am SUHO !!!!
もちろん、おやつは「風の干しブドウ」で決まりだね!!

フラれたひょうきん

最近、ちまたでは牛の値段が上がっているらしい。
品薄なのだそうだ。
そんな折、岩手県内の酪農家さんが
「牛を売ってくれないか」と突然やって来た。
聞くと、立て続けに2頭死なせてしまい
ジャージー牛で搾乳できる牛を急遽2頭補充したいとのこと・・。
急に売って欲しいと言われても
我が家は少数精鋭なので、売ってもよい牛などいないのだ。
さらには、あまり面識のない方に
我が家の牛を行かせるのは
正直心許ないというか・・・嫌・・っていうか〜・・
みたいな気持ちで、妻はとにかく「反対!売りません!」という姿勢。
しかしながら、心優しい夫は
「困ってるんだよ。困った時はお互い様なんだから」と
売っても良い牛選びを始めた。
妻が猛烈に反対運動を繰り広げているのをしり目に
13歳になる「ひょうきん」という牛を選んだ。
「歳はいってますが、性格も穏やかだし、乳量もそこそこ出てます。」
「ひょうきん」は初代牛の1人である。
妻にとっても夫にとっても特別な存在だ。
「ひょうきん」には別名「きょうこ」という名も付いている。
「きょうこ」とは、妻の母の名前で
なんとなく雰囲気が似ている事から、こんな名前も付けた。
つまり母にとっても特別な牛なのである。
「ひょうきん」が売れちゃったと言ったら母も悲しむだろうな・・。
「ひょうきん」は癒し系だから、いなくなったらきっと・・。
酪農家さんと主人が牛舎の前で商談している。
やがて交渉がまとまれば、あのトラックに乗せられて
行っちゃうんだ。
突然の別れが、今まさに起ころうとしているのだと思うと
ギュッと目をつむっても「ひょうきん」の顔が見えるのだ。
さみしい!
再び目を開けた時、トラックが土煙を巻き上げて去って行くのが見えた。
「行っちゃった〜・・・ん?」
牛舎の前には、取り残された「ひょうきん」がポツンと立っていた。
「あれ?」
「ひょうきん」はトラックが巻き上げた土煙を払うような仕草をしてから
ムシャムシャと雑草を食べ始めている。
「いや・・え?」
どうやら、商談不成立だったらしい。
値段交渉の段階で決裂したそうな。
そうなると、ほっとした反面
急に「ちょっと!!ひょうきんのどこが気に食わないっていうのよ!!」と
苛立ち始めた。
我ながら我儘な心境にびっくりしている。
「ひょうきん」がフラれた。
ヒョコヒョコと牧場に戻る「ひょうきん」に
「あんた、すっごい、いい子なのにフラれちゃったの?」と言ったら
「残念!」みたいな顔で悪戯っぽい目をした気がして
笑いが込み上げてきた。
フッフッと笑いながら「ひょうきん」の首に巻いたロープをほどいてやった。

放牧開始!2016!

例年より1週間程早く、この日がやって来た!
「お〜い!始まるよ〜〜お!」の号令と共に
牧場周辺の山野に潜んでいた子供たちが
「やっほほ〜〜い!!わああ〜〜〜い!!」と
ガサゴソと駆け戻って来る。
牛達は朝から、ソワソワ・ウキウキ落ち着かない様子。
「モオ〜〜!!ベエエ〜〜!」と何やら催促している模様。
鎖を外してあげると、
勢いよく牛舎を飛び出して行った!!
「放牧の始まりだよおおお〜〜〜〜〜!!」

牛達は広い牧草地に駆け出し、喜びを体中で表現している。
駆け回り、跳ね回り、
転げまわって顔中を土まみれにしている。

13歳の「ひょうきん」は
静やかに出て行くと、いつものお気に入りスポットに
ボタンっと座り込んで、春の空気をまったりと満喫している。
(このお気に入りスポットが、とても中途半端な位置にあり
 どこが気に入っているのか、未だに解りかねている)
長く厳しい冬を越したからこその、この喜びである。
どれくらい、喜んでいるかというと、
この牛達を見れば、一目瞭然で
「すっごい、すっごい、喜び!」なのである。
他者をも巻き込む喜びなのである。
今日の、この牛達を眺めていると
滅茶苦茶ハッピーな気持ちになるので、
我が家では、放牧開始日の事を
「正月より迎春」と定めている。

廃用牛なんて言わせない

牧場を始めた13年前は
想像もしていなかった事の1つに
「乳牛の最期」がありました。
今年、牧場歴13年目を迎える我が家には
創業当初から、いつも一緒に頑張ってきた13歳の牛達がいて
近年、彼女達は乳牛としての役目を終えなくてはならない
時期になっています。
妊娠出来なくなったのです。
牛も子を産まなければ、お乳が出ません。
だから、受胎出来なくなるという事は
三谷牧場にはいられなくなる、という事でした。
子牛の頃から一緒でした。
創業当時のおぼつかない私達を励ましてくれた牛達です。
一般的には、乳牛の役目を終えた牛達は「廃用牛」として
出荷されて、ミンチ肉やペットフードになるのだそうです。
「この子が、そんな安い扱いを受けるの?」
私達の中では、特別な牛達です。
簡単に「はい、出荷」とは出来ませんでした。
ごまかし、ごまかし、ズルズルと飼い続けておりましたが、
その後の進路を考えると、何も思いつかず悩みました。
そんな中で、雫石の肉牛肥育農家の中屋敷さんと
肉の販売をしている荻澤さんに出会いました。
「頑張ってきた牛達を、再肥育して然るべき人達に
 美味しく食べてもらうのが、何よりなのではないでしょうか?」と
荻澤さん達からご提案頂いた時は
正直、本当にそうだろうか?
牛にとっては、ここを去って、死ぬことには変わりないのに・・と
半信半疑でした。
しかし、このまま知らない人の手に渡って
肉になったとしても、誰も知らない牛として
感謝もされずに食べられるのかな、と思うと
中屋敷さんと荻澤さんに託してみようと思いました。
そして、5か月前に
30番の牛が中屋敷さんの所へ行きました。
この子は、まだ7歳でしたが、
既に受胎できなくなってしまった子でした。
「大事に育てます」と、
そして実際、大事に育ててくれた中屋敷さんが
いよいよ「出荷時期」と判断したのが
つい先日でした。
そして、荻澤さんが
「この肉は特別に扱って下さい!」と熟成士さんに
頭を下げて下さったそうで、
30番の肉は
松坂牛などと並んで、一番条件の良い熟成庫に
眠ったのだそうです。
さらに、30番を調理してくれたのが
有馬シェフという、信頼ある素晴らしい方でした。
有馬シェフは「しびえ料理」の第一人者という方で
肉の油も筋も、骨の髄まで、エキスまで
「絶対に無駄にしない!」と、大事に、大事に扱って下さいました。
30番のお肉がメインディッシュとして
運ばれてきた時に夫が
「あ、三谷牧場がメインや・・」と
感慨深げにつぶやきました。
我が家の主力商品である乳製品は
サブ的役割が多いので、メインディッシュになったことは
今まで1度もありませんでした。
30番は、メインディッシュとして、
皆様に「いただきます。」と言われて食べてもらえたのです。
30番という牛がいたのだ。
彼女のお肉なんだ。
こんなふうに、思ってもらえる家畜は
それほど多くありません。
だから、この時初めて
30番に敬意を表せたな・・と感じました。
それもこれも、中屋敷さんや荻澤さんや
有馬シェフ、そしてこのチャンスを与えてくれた
ヌッフデュパプの皆様のお蔭でした。
これから、13歳の牛達が
続々と旅立って行きます。
また皆様のお力をお借りして
牛達のプライドを守りたいと思います。
これはとても悩ましい問題です。
擬人化しすぎてはいけないのですが、
牛達の気持ちになって進めていきたいと思います。
そして、今、一緒にいられる時間が
いかに大切な時間なのかを
噛みしめたと思います。
これに関しては、牛だけではなく
家族や友人、お仕事つながりの方達にも
共通して、今、一緒にいられる事を
ありがたく思っていこうと思います。

ホコリ虫

我が家は虫が多い。
人間界に虫がいるというより、
虫の繁華街に潜む人間と表現した方が正しいくらい。
よくもこれだけ進化したものだと感心するほど、
多種多様な虫がいる。
そんな状況下で
とっても珍しい虫を見つけた。
台所の湯呑のフチを2mmくらいの
ホコリのようなものがトコトコ歩いていた。
「なんだ!!これ!?ホコリが歩いてる!!」と
三谷家は無駄に高揚し、
「新種だ!新種だ!」と捕獲した。

これだけの虫がいるのだから、1つくらい新種でも
おかしくないわっ!と、変に確信した三谷家は
早速、週末には岩手県立博物館を訪れ
学芸員さんに「ホコリ虫」を渡して品定めをお願いしたのであった。
(ホコリ虫は既に死亡している)
新種と認定するには、数々の文献を調べて
一致するものがないか確認し、その上で論文として
世に発表するのだそうだ。国内のみならず、海外の文献にも
及ぶので、大変時間がかかるそうだ。
「もしも、新種だったら、MITANI虫かしら!?
 町おこしの為に奥中山虫でもいいね!」と
ワクワクドキドキ、無駄に高揚したまま帰宅して
PCのメールを開いたら、学芸員さんからメールが来ていた。
「これは新種ではありません。」
ズゴ〜ン!!
「これはクサカゲロウの幼虫で、カモフラージュのために背中に
 草などをくっつける習性があり、家の中だったので、ホコリをくっつけていたのでしょう。」
そして、我が家の新種フィーバーは終わった。
だけど、こんな思いつきの私達を
嫌な顔1つせずに、親切に対応して下さった学芸員さんには
本当に感謝している。
そして、そんな虫がいた事も、
学芸員さんの迅速丁寧なお仕事にも、
博物館の素晴らしさも、
三谷家的新発見の連続だった。
だから、とても満足している。
「顕微鏡で拡大した写真も添付します。」
と、これまたご親切で頂いたお写真には、
「ホコリ虫」と若干バカにしていたのに
意外と怖い顔をしていて、これまた驚いたのだった。
もしこれが巨大化して
「ホコリ虫とか言ったの誰や!?」って襲ってきたら
絶対、平謝りして死んだふりをすると思う。

岩手言葉

奥中山に住み始めて12年。
沢山の岩手言葉に惑わされて参りました。
「もんずら」とか
「かっかんべ」とか
「ぎゃんだか」と・・数え上げればきりがない程、
岩手言葉は、標準語をかすりもしないものでした。
そして、12年も経った今、
私はすっかり「岩手言葉マイスター」だと
思い込んでおりました。
確実なヒアリングもさることながら、語彙の獲得率に
自負心たっぷり!私は岩手人なのだ!
・・・って思っていたのにさ。
一戸町のスーパーアドバイザー「梅ちゃん」が
ひょっこりやって来て、いつものように
井戸端会議をしていた時の事です。
「いんや〜、やっぱり、商売はゆっくり成長するのが
 一番だっけや!お宅のようにね、
 夫婦でぴちこぴちこ働ぐのが、一番なんだじゃっ!」と
間髪入れずに
「ぎゃはは!ぴちこぴちこって!!」と突っ込む妻。
梅ちゃん語録炸裂だと思ったら、なんと
「あれ?これは、方言なんかな?
 そういう時にはよく「ぺちこぺちこ」とか
 「ぴちこぴちこ」って言うっけよ。」
・・なんとな〜く雰囲気の伝わる言葉である。
「夫婦二人で毎日せっせと働く」を
「夫婦二人で毎日ぴちこぴちこ働く」と言う。
「ぴちこぴちこ」
まるでツガイの小鳥かなんかが、小さな巣の中で
いじらしく、たくましく暮らす様を、見事に表現しているではないかっ!!
岩手言葉恐るべしである。
本当に奥が深いよ。
マイスターを気取っていた自分が恥ずかしいよ。
奢らず、怠けず、ぴちこぴちこ生きて行こう思います。

スーパー赤ちゃん

スーパー赤ちゃんが生まれました。
我が家の牛達は、どの子も皆「スーパー」だけど・・。
あの日は、ちょうどヨーグルト製造日で
母牛が産みそうな雰囲気を出していたけれど
工房の中から「頑張ってね〜」と応援するのが精いっぱいだった。
ヨーグルト作りが終わって、
「さあ、無事に生まれているだろう!」と
牛舎に駆け付けたのは、
恐らく出産後2時間は経過した頃だったと思う。
蒸し暑い牛舎には、今しがた大仕事を終えたばかりの
母牛が独りのっそりと立って、モグモグ草を食べていた。
よし、まず母牛は元気そうだ。
子牛は・・?
母牛の後ろ側を丹念に見渡したが、子牛の姿はなかった。
もう一度、もっとゆっくり、
牛舎中を眺めてみたが、やっぱり、いないのだ。
そこで初めて「あれ?」と一言つぶやいた。
一輪車の後ろとか、堆肥の中とか、一通り探した。
そして、「いない・・・グスン。」と、遠くの空を見た。
すると牧草地の真ん中にカラスの黒だかりが。
よくよく見ると、
カラスの黒い輪っかの中に
ポツンと座る子牛と、イチっぽい姿があった。
ちょっと意味が解らない!と思いつつも
牧草地の坂を駆け上がってみると、
カラスの群れは、ぱあ〜っと飛び立ち
やっぱり、そこには子牛とイチがいた。
子牛が生まれた時に、我が家の牛達の中でも
特に母性が強い「イチ」が居合わせて、
丁寧に舐めて介抱してあげたのだろう。
そして、再び牧草を食べに山を登っていった
イチの後を、子牛が生まれたばかりの
たどたどしい足で、健気にもついて行ったのだと思う。
だけど、外にはヤンキーカラスが沢山いて、
小さな子牛などは、格好の悪戯の標的にされてしまう。
特に目や肛門など柔らかい部分をつついたり、悪質な悪戯をされる事もあるのだ。
よそ者のヤンキーカラス軍団に囲まれてしまった
子牛を、再びイチが守っていたのだろう。
子牛を抱き上げて牛舎に連れて行くと、
イチは何事もなかったように
草を食べ始めた。
生後2時間で、山登りしちゃった子牛は
まさに「スーパー赤ちゃん」である。
また、素晴らしい母性を発揮した
「イチ」は、やっぱり我が家の「一番」なのである。